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2015-10-11

劇団5454第8回公演【少年の庭】観戦記!(ややネタバレあります!

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本日もマチソワ観劇してまいりました劇団5454【少年の庭】!
明日で東京は千秋楽ということで、大阪公演もあるので大きなネタバレは避けますが、ちょっと気になることを少しずつ書いてみようかななどと思いまして本日はややネタバレありとなっております。
なので、まだ観てない! これから観る! 観たけどネタバレなんか嫌だ! という方は、ちょっとご遠慮いただけますとお互い幸せかと思います。

では、ここからややネタバレあり版観戦記。
今回は今作の影の主役だと私が思っている「君共先生」について書いてみます。

アツシオさん演じる胡散臭さ満載の君共先生が、なんで胡散臭いのか?

君共先生、いい人なんです。
何事も否定から入らず、考える力を伸ばす方向で子供たちを見守っている。
「導く」というよりは「見守る」人。
先生というよりはもっと親や兄弟に近い存在。
それか、もっと誰よりも遠い、超越した存在。
すぐ隣にいる親しさと、何もかも超越した場所から見守る隔絶。
良いことも悪いことも並列状態にあって、残酷なことを平気で言ったりする。
そんなアンバランスな中に揺らぎもせずに理路整然と立っているその姿がひどく「胡散臭く」感じる。

第一印象はまさに「胡散臭い」そのまんまでした。

でも、君共先生が胡散臭く思えるのは、庭で遊ぶ「子供」たちよりも庭のない家で子供たちを見ているだけの「親」に私が近いから。
スカート捲りをしてしまう保育園児より、それはダメだと叱ってしまう大人の側だから。

君共先生の話を子供の目線で見てみれば、胡散臭さなどまるでなく、自分の知らない世界を広げてくれるまさに「先生」。
無邪気に鬼ごっこをする子供たちに、爆竹でカエルを爆破してみなよなどととんでもないことを言うと大人は思うけど、子供にしてみたらそれは好奇心の塊。
悪い事だとうすうす匂いはするものの、どうなっちゃうのかのほうがはるかに気になる。
親や大人が絶対に教えてくれない「わるい」提案はとっても魅力的。
きっと、その提案に飛びついたこたろうとリコの二人は死んだカエルを見て後味悪い思いをするかもしれない。
でも、君共先生はその後もきちんとフォローするに違いない。命の大切さを教えつつも、子供たちの心に傷が残りすぎないように。

そう考えると君共先生はすごくいい人。
保育園の鶴岡さんと風太の二人が共感を得るのもわかる。
彼らは園児の立場に立って同じ目線で子供たちとの付き合い方を考える人たち。
だから君共先生の教えを胡散臭いとは思わず、素直に尊敬できる。

でも、大人である佐藤や東家には君共先生は異質な胡散臭い人物でしかない。

行動には原因があり、その原因を解消することによって起こる過ちを未然に防ぐ事を教えたい佐藤。
それは目的を見ることで躊躇わず自分の足で歩いてゆくべきだと教える君共先生とは相反する考え方。

東家は少し君共先生に近い存在ではあるけれど、東家は君共先生のいる清い庭に居られない泥だらけの子供たちが集う庭の主。
幼い子供たちが大人の真似をして背伸びをしたいのを黙ってみている存在。

私たちはやっぱり「原因があるから結果が生まれる」と考えて、「目的のために行動が行われた」とは考えづらい。

物凄く嫌な例えだけど、殺人という行為の目的を「人を殺したかったから」というのを受け入れるのは難しい。
命は大切で、人を殺してはいけない、殺人は罪、命を奪われた後に残されたものの悲しみなどなどなど、私たちはいっぱいの理由をくっつけていろんなものを抑え込んでいる。
そして、そういうことを繰り返させないためにその原因を探る。まさしく、佐藤の考えるそれを。

そういう理由を足かせとするなら、自分の中に何か目的が沸き上がった時に行動に移ることをためらってしまう。
足かせは行動を止める。前に進もうとすることを止める。自立して生きてゆくには理由を足かせに行動を止めてはならない。

そういう足かせをすべて取っ払って前に進む力を身に着けるために、理由は考えず目的を見て行動を起こせとする。

家出。
カエル爆竹。
高木マモルの失踪。

理由という足かせのない、目的に従った行動。
それを見守る、君共先生という人物。

子供の目線に降りることのできない私には胡散臭いことこの上ない。
それは家出して、背伸びをせざるを得ない子供たちにも通じない。
風太がどんなにこっちへおいでと言っても「やばい」「おかしい」で拒否されたのは、背伸びをして大人に近づいてしまったから。
それが君共先生の言う「ダメな親に育てられてダメな親になる」こと。

そして、そんな大人たちと君共先生は「子供を巣立ちさせたい」というベクトルは同じなのに交わることのできない線路のような平行線を永遠と辿る。
良いも悪いもない。しかし分かり合うことも難しい。

その狭間に立ったのが稲見だったのだと思います。
稲見は目的を見て行動も起こせるし、理由を知って行動を止めることもできる。
どちらかに特化してしまっていない彼女だけが下せる判断。
それがこの物語のラストだったんじゃないかなと思います。

物語が進むにつれて、胡散臭さが増してゆく君共先生が、最後の最後、稲見との対決の後にすっきりと清々しく見えるのは、大人である私たちが君共先生を理解したと同時に、君共先生もまた学んだからなのではないでしょうか?

アツシオさんすごいなーとホント思うのは、あのラストの笑顔は本当に清々しい。
それまでとビジュアル的な変化は何もないのに、あの清々しさはちょっと感動しますよ!
見方を子供の側に切り替えるとかなり魅力的ですし!w
次にこの物語を観劇するときに、ちょっと見方を変えてみてみるとなかなか素敵なのでお勧めです。

今日はそんな感じで銀縁メガネのアツシオさん演じる君共先生に萌えてまいりましたw
衣装が作務衣でよかった。あれスーツとかだったらこんなに冷静にお芝居観れなかったかもw

素敵なアツシオ先生が観れるのも東京は明日が最後ですね。
東京千秋楽、みんなの姿を焼きつけに劇場に参ります!
明日もすごく楽しみです。

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