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2017-07-01

佐藤りんだプロデュース公演「いつもマントにシェークスピア」観戦記!

今晩は。人生いろいろありすぎてむしろ楽しくなってきたskinpopです。

本日は非常に久しぶりにシェークスピアを観てまいりました。
え? 前に観たのって何年前? ちょっと懐かしむくらい昔じゃないかな? と思ってしまうほど久しぶりです。
何故かと申しますと、私、シェークスピアって歌舞伎だと思っているんですね。で、シェークスピア以外の人間がそれを解釈し演じることは浮世絵のようなものだと。
そこで何が観たいかと言ったら私は割と歌舞伎が観たい人なのです。その戯曲家の綴ったありのままの姿を。演ずるものの誇張のない姿を。
だからあまり古典演劇を観るよりは今この時代を生きている人間の言葉と歓声で訴えるものをダイレクトに楽しむ方が好きなのです。
でもそれは好き嫌いと言うよりは、パンが食べたい気分なので、ケーキじゃないの。だからパン屋に行くけど、ケーキも嫌いじゃないのです。
初っ端からシェークスピアに喧嘩売ってますが、私があの時代の人間だったら絶対観てましたし、きっと通ってたと思いますがw

なんて書いちゃうと面白くなかったの? と言われそうですがそんなことはございません。
流石に初演で見ました訳ではございませんが、NINAGAWAマクベスも観てますし、メタルマクベスなんかも観ております。

そして、その世界に広がる浮世絵の艶やかさを本日も眺めてまいりました。

プロローグは少年二人が奏でるミスチルの「放たれる」からスタート。
バイオリン弾きの少年とボーカルの男の子が二人、ローリングストーンズのTシャツに裸足の姿で奏でる「放たれる」
右へ左へ迷いながら蔓を巻き、光あふれる場所へ行きたいと歌う姿は一枚の絵のよう。
ヨーロッパの宮廷画家たちが描く華美なそれとは違い、泥臭くとも地に足をつけ日々を生きる市井の人間の「ハレ」を描いた浮世絵のような絵。

この絵の世界はこの後も続きます。
カクシンハンの木村龍之介さんが語るシェークスピアへの思い、そして磨き上げたマクベス。
血だまりでもあり、夜明けでもあり、日暮れでもあり、失われてゆく世界と生きるものが踏みつけて行くもの。それを背に笑うマクベスとマクベス夫人の姿。

赤い紅を引いたその唇を光の中で歪ませながら、対照的な存在が陰と陽をくるくると入れ替えながら朗読するタイタス・アンドロニカス。

シェークスピアの中でもタイタス・アンドロニカスはシェークスピアが大衆演劇であるが故に登場したような物語。
もう愛憎どろっどろでスプラッタも真っ青な惨たらしい方法で次々に人が死んでゆき、愛、エゴ、憎しみ、企み、無知、無情、etcetc兎にも角にもひたっすら浮世離れした話が延々と続き、そこには救いも何もない。それがまさにこの世であり、民衆の目に映る世界なのだと言わんばかり。
そして、それもまた浮世絵の一コマとなるわけです。
ちょっと古い映画に「吉原炎上」という東映の映画があるのですが、私の中ではあの世界にかぶります。
あの映画の途中はいかがと思うところもあるのですが、燃え盛る吉原の姿を呆然と見つめる紫の目に、私は新皇帝となったルーシアスの目と同じ光を感じるのです。

人間のカルマを最高に詰め込んだような浮世の世界を、真以美さんとのぐち和美さんが朗読で魅せてくださるのですが、これはもう迫力としか言いようのないお二方の存在に圧倒されます。
最後の一コマは本当にお二人ともお美しい。流石でした。

カクシンハンの看板のお二人のタイタス・アンドロニカスの壮絶な世界の後には、劇団5454の看板のお二人、佑樹丸くんと廉平くんのショートストーリー。
こちらはシェークスピアではなくて木村龍之介さんがモチーフ。
なのでネタバレは避けますが、廉平くんの女優度が益々アップしているのと、佑樹丸くんがなんか屈託なく笑うのを舞台で見れるのは意外と貴重かもしれませんよ!w

そしてお茶の時間を挟んで、ラストの物語はご存知、ロミオとジュリエット。
このお話、超有名ですが実は戯曲を読んだ人は少ないだろうと思う、キャッチーさのインパクトで有名になった感の否めないお話。
悲劇……として有名ですが、実際は恋愛喜劇とも評されております。

対立する有力者のもとにそれぞれ生まれ育ったロミオとジュリエット。二人はその境遇をはねのけても愛を成就させたい二人の様は滑稽にすら見えます。
真以美さんのジュリエットがキャッキャしながら服を選んだり、遠くにいるロミオを思って夢見たり、多分当時でも等身大であったであろう少女としての姿を魅力的にコミカルに見せてくれます。
しかし、二人の奮闘は大人たちの心には響きません。
そして有名な仮死の毒を煽るあのシーンへ。
深い死の眠りにつくジュリエット。ロレンスの伝令が届かずジュリエットの死を嘆き真の毒を煽るロミオ。

この一曲はカクシンハン的と言うよりは非常に劇団5454的な一曲だったように思います。
もちろんロミオの演者が春陽さんであることもあると思いますが、何というか……演出的な浮世の見せ方と言うか。
浮世をドラマチックに強く出すシェークスピアと、浮世の中のハレを拾い上げる様なシェークスピアと申しますか。
強いカリスマのような光を放つものと、優しく見上げたくなるような温かさをもたらす光。
それはどちらも光なので何が違うというと中々説明しづらいのですが、これこそが古典演劇の楽しみ方なのではないかなと思います。

最後まで艶やかで泥臭く美しい世界の物語を目いっぱい詰め込んで見せてくれた絵巻物のような舞台を、こんな風に観れるのは贅沢だなぁと思います。
シェークスピアは誰かの目を借りて見る世界だと私は思っています。木村龍之介さんの目を、春陽漁介さんの目を、リンダさんの目を通してみたのが今日の舞台。
人の目を借りるというのはなかなか贅沢な体験だと改めて思います。

日頃みているものが割と自分の目で見る芝居が多いので、それと違った贅沢な舞台を優雅に楽しませていただきました。

追記

本日のお茶の時間はプロレスラーの青木篤志選手でした。
シェークスピアの合間に聞くプロレス談義はなかなか面白く、木村さんが青木選手にお気に召すままのローランドはどうですか? と仰っていましたが、それいい! って心の中で思わず叫んでしまいましたw
お気に召すままはまた今回演じられたものと違いコメディ色も強いですが、ローランドはシェークスピアに出てくる中でもまともなイイ男なので、もしキャスティングが叶ったら絶対観に行きたいなと思いましたw

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